城の形態

平城

新発田城(しばたじょう)

城の北部を流れる加治川を外堀に利用した平城です。 日本城郭協会の日本100名城No.31に選ばれた、新潟県にある城です。 新発田城(しばたじょう)は 初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が1598年に築城し、第三代藩主宣直(のぶなお)...
平城

小倉城(7年の歳月をかけた天守閣)

1602年に細川忠興が天守閣を7年の歳月をかけて築いた城です。 4階より5階が大きい天守閣の「唐造り」が特徴であり、築城当時は全国で唯一のめずらしいものでした。 他にも切り石を使用していない野面積み(のづらづみ)と呼ばれる石垣や大手門や槻門...
和歌山県

和歌山城(紀州徳川家の居城)

和歌山城は、和歌山県和歌山市一番丁にある平山城です。御三家の一つ紀州徳川家の居城です。 城跡は国の史跡に指定されており、2006年には、二の丸と西の丸を結んでいたと言われる御橋廊下の復元工事が始まりました。 同年に日本城郭協会から日本100...
平山城

岡崎城(別名 龍城 )

NHK大河ドラマ「どうする家康」でお馴染みの、徳川家康が誕生から6才まで、そして20代まで過ごした岡崎城です。 群雄割拠の戦国時代に家康の松平家そのと郎党たちは、今川家や織田家の隣国に苦しめられていました。 ご存じのとおり、少年期の家康も今...
鳥取県

鳥取城ー城郭の博物館ー

鳥取城は、羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台となった城としてよく知られています。 江戸時代には鳥取藩主の池田氏によって近世の城郭として改修されました。 現在の城址には天守台の他石垣や堀が遺構として残っており、正面の入口には織田信長の家臣の秀吉に攻...
北海道

五稜郭(稜堡式の城郭)

五稜郭は、江戸末期に箱館開港を行った時に函館山の麓に置かれいた箱館奉行所の移転先として新たに築造されました。現在、五稜郭公園として一般に開放され、函館市民の憩いの場と函館を代表する観光地となっています。函館のシンボルと言っても過言ではありません。あの新撰組の土方歳三が明治新政府と最後まで戦った地(城郭)としても知られています。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産にも選定され、日本100名城no.2(日本城郭協会)にも選定されました。
島根県

月山富田城-難攻不落の山城-

島根県安来市にある日本の城、月山富田城(がっさんとだじょう)です。月山(がっさん、標高183.9m)の一帯にあり、戦国大名尼子氏が本城として、難攻不落の山城として戦国時代屈指の要害であり、悲運の武将、山中鹿介(やまなかしかのすけ)の出た城として有名です。尼子氏滅亡後も山陰地方の支配において、月山富田城は重要な役割を果たしました。国の史跡に指定され、日本五大山城の一つとされることもあり、日本100選No.65(日本城郭協会)にも選ばれています。 月山富田城(がっさんとだじょう)は、戦国時代には、大名尼子氏(六代)の本拠地となり山陰の要衝の地となりました。天然の地形をうまく利用して攻め落とすことが困難な山城として有名で、「天空の城」とも呼ばれています。最終的に尼子氏は、毛利元就によって滅ぼされ、城も毛利領となりました。この城の難攻不落は、「尼子十簱」という味方の城があったということも理由として挙げられます。毛利氏が尼子氏を滅亡に追い込めたのは、この「尼子十簱」を最初に潰していったことであり、決して力攻めはしませんでした。
平山城

水戸城(徳川御三家の一つ)

水戸城と言えば、水戸黄門の水戸光圀や15代将軍徳川慶喜を想像される方も多いのではないでしょうか。この城は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城と言われ、空堀3本が見どころです。高低差50mの各曲輪を区切る壮大な空堀、本丸と二の丸の間の空堀にはJR水郡線が通っており、そして二の丸と三の丸の間の空堀には道路が、三の丸の西側にも空堀が残っています。水戸城は、大規模な土塁と共に西側の台地に五重の堀が、東の低地には三重の堀を巡らせてあり、堅固な防衛線を築かれた城でした。土塁と空堀は、県の史跡に指定され、日本100名城(14番)にも選定されています。
富山県

高岡城(前田利家の息子、利長の隠居城)

高岡城は、前田利家の長男である利長が築城した隠居城で、富山県で唯一、日本100名城(No.33、日本城郭協会)に選ばれています。現在、日本有数の水濠公園「高岡古城公園」として整備されており、当時の堀や石垣を見ることができます。桜の名所でも有名で、春はソメイヨシノやコシノヒガンザクラ、エドヒガンザクラ、ヤマザクラ等23種約2700本の桜が咲き誇っています。日城跡は高岡古城公園として整備され、市民の憩いの場となっています。国の史跡にも指定されています。
平山城

白河小峰城(東北三名城の一つ)

東北三名城の一つ白河小峰城です。焼失したり、地震(東日本大震災)と様々な歴史のあるお城ですが、美しい石垣や三重櫓など見どころ満載のお城です。木村拓哉の 映画「武士の一分」の撮影に使用された城でも有名です。2006年に日本100名城13番(日...
滋賀県

小谷城(浅井長政の居城)

日本五大山城の一つに数えられる有名な城です。浅井長政とお市の方(織田信長の妹)との悲劇の舞台として語られ、浅井三姉妹(茶々→豊臣秀吉の側室、初→京極高次の正室、江→徳川秀忠の正室)が産まれた城でも有名です。現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣などが遺構として残っているだけですが、1937年には国の史跡に指定され、日本100名城49番(日本城郭協会)に選定されました。
山城

大野城(防衛ための古代山城)

日本書紀や続日本記に登場する大野城です。現在は「四王寺県民の森」として整備され、現存する石垣や土塁を見ることができ、大野城市の名称はこの大野城に由来していると言われており、大野市のPRキャラクタ-「大野ジョ-」は、石垣をモチ-フにしたリ-ゼントのご当地キャラです。2006年には、日本100名城86番(日本城郭協会)に選定されました。
平山城

名護屋城(朝鮮出兵の前線基地)

肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市、東松浦郡玄海町)にあった、太閤豊臣秀吉が文禄の役(朝鮮出兵)を始める前に築かせた日本の城です。 1985年に公開され、黒澤明監督による『乱』のロケ地の一つに名護屋城が選ばれて撮影が行われました。
鹿児島県

鹿児島城(別名 鶴丸城)

鹿児島城は、1601年頃に島津18代当主、初代藩主の家久が築城した島津氏の居城です。背後の山城(城山)と麓の居館からなる平山城(山城・平城)です。 幕末の島津斉彬と篤姫、西郷隆盛、大久保利通など、関係の深い城です。 居館の正面中央には、威風堂々たる「御楼門」があり、御楼門は、1873 年の火災で焼失しましましたが、2020年に日本最大と言われる城門として復元されました。 2006年には、日本100名城97番(日本城郭協会)に選定されました。
平山城

福岡城(別名 舞鶴城)

黒田孝高(如水・官兵衛)の子、黒田長政が築城した福岡城です。城跡の主要部分は、国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっており、城跡には現存する櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在しています。 毎年、春になると「福岡城さくらまつり」や「おおほりまつり」が開催されており、光雲神社から福岡城跡まで黒田孝高(官兵衛)、黒田長政、黒田家二十四騎に扮した人々等の勇壮なパレードが盛大に行われています。 2006年には、日本100名城85番(日本城郭協会)に選定されました。
平城

大分府内城(平城であり海城の一つ)

城跡は、大分城址公園となっており、本丸跡の北西隅に二重櫓(人質櫓)と西丸に平櫓(宗門櫓)が現存しており、石垣や土塀、堀と共に大分県の史跡に指定されています。 3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されており、2017年12月27日~2018年2月14日には、金属製パイプで天守の骨格を再現して、LEDによるライトアップが行われました。2018年3月27日~2019年2月14日にも再度ライトアップが行われています。 2006年には、日本100名城94番(日本城郭協会)に選定されました。
宮崎県

飫肥城(伊東氏と島津氏による攻防戦で有名)

飫肥の武家屋敷を観ると、道路に沿って石垣を整然と積み上げられ、石垣の上には茶の木等の生垣があり、入口は格式に応じて薬医門や長屋門などを設けられています。とても魅力ある風景です。日南市飫肥では、飫肥城を中心に歴史的景観を活かした数多くのまちづ...
平山城

熊本城(加藤清正が築城した名城)

植木町中心から南に伸びる舌状台地の尖端、茶臼山の丘陵に築かれた平山城です。 元々あった千葉城と隈本城を取り込んで加藤清正(清正公せいしょうこう)が現在の本丸にあたる部分の築城を行いました。細川氏の時、城地の拡張と増築が盛んに行われ、西側に二の丸と三の丸が加わりました。 西南戦争で天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失したり1889年熊本地震で石垣の一部崩落、2016年熊本地震による多くの石垣が崩落など被災したりしましたが、その都度復元や修復作業が行われ、熊本城の本来持つ美しい姿を取り戻そうとしています。
大分県

中津城(三大水城の一つ)

中津城は、水城(海城)で日本三大水城の一つです。豊臣時代から江戸初期において九州地方に入った大名は海城を居城としています。 豊臣時代に豊前国の黒田氏が中津城を築城しました。江戸初期には細川氏も入城しましたが、細川氏は海城である豊前国小倉城(福岡県北九州市小倉)を同時に使用していました。 細川氏がそれ以前に居城としていた丹後宮津城(京都府宮津市)も海城であり、細川氏の海城に対する執着は強かったようです。 続日本100名城191番(日本城郭協会)に選定されました。
平城

吉野ヶ里(弥生時代の大規模な遺跡)

佐賀県の吉野ヶ里町にある大規模な遺跡です。これまでの調査によって弥生時代の前期初頭に小規模な環壕集落が丘陵南端に形成されたと推定されています。望楼と言われる物見櫓を備えた環壕によって囲まれた、北内郭や南内郭の存在が確認され、北内郭の内部には...