重要文化財「宇和島城」(三大海城の一つ)

平山城

築城の名人、藤堂高虎が築き、伊達氏二代目の宗利が、天守を再建した宇和島城です。現存する12天守の一つ、そして、重要文化財で歴史的にも価値のある城を紹介します。

宇和島城(うわじまじょう)は

四国の愛媛県宇和島市にあった日本の城で、別名を鶴島城と言います。今治城と同様に藤堂高虎が築城しました。上空から見ると不等辺五角形の城郭は、高虎独特の工夫が施されています。城跡は国の史跡に指定されており、日本100名城No.83(日本城郭協会)に選定されました。

宇和島城の沿革

藤堂高虎が今治を転封(国替え)となってのち、奥州仙台藩主であった伊達政宗の長子である秀宗が宇和郡10万石を賜りました。

1615年(元和元年)に入城して、2代目の伊達宗利の時代に天守以下、城郭の大修理を行い、1671年(寛文11年に)完成させ、その姿を現在に残しています。

宇和島城は、元々あった板島丸串城の跡に藤堂高虎によって築かれた城郭で、宇和島城には本丸天守から原生林の中に間道が数本あり、西海岸の舟小屋や北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていました。

宇和島城には、藤堂高虎の築城の技術が随所に施されている城でもあり、城を囲む五角形の堀は、高虎の後の大名にも代々受け継がれています。

三大海城(他は今治城、中津城)の一つと言われますが、現在は堀も海も埋め立てられています。明治以降は大半の建造物が撤去され、城郭は戦後になって「城山公園」として整備されました。

宇和島城の縄張

天守は独立式層塔型三重三階で、その姿は白い壁が美しく、白漆喰総塗籠の破風などの御殿建築が随所に施されいるのが優美で印象的です。

標高74メートルの丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸と帯曲輪になっています。その北は藤兵衛丸、西側中腹には代右衛門丸、そして藤兵衛丸の北側一段低い所に長門丸を配置しています。

東側の中腹に井戸丸があり麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた、外郭を廻らせる梯郭式の平山城となっています。

各曲輪が山上部に散在している中世的な縄張を残しながらも、山麓部には追手門や搦手門のように内枡形や喰違虎口といった、近世城郭的な縄張も持っています。

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宇和島城の所在地

〒798-0060 愛媛県宇和島市丸之内3

宇和島城へのアクセス

JR宇和島駅から徒歩約15分
西予宇和ICから車で約30分

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