鬼ノ城(きのじょう 古代の山城)

岡山県

大和朝廷によって防衛のために築かれたと言われる古代の山城です。現在、史跡調査や整備が進み、復元された角楼跡や西門等、城門跡を観ることができ、西門から見るパノラマの風景は実に素晴らしいものです。天守を持つ城とは違う情感を味わうことができます。

だれもが知っている昔話「桃太郎」のルーツと言われています「温羅伝説」の舞台として有名なのがこの鬼ノ城です。

鬼ノ城(きのじょう)は

岡山県総社市(そうじゃし)にある鬼城山(きのじょうさん)に築かれたと言われる日本の古代山城です。標高397mの鬼ノ城山の頂上部に広がり、城内の面積は約30ha、山城としては全国でも屈指の規模になります。周囲は、2.8㎞の城壁がめぐり、所要30分~2時間ほどのウォーキングコースが設定されています。

城跡は国の史跡に指定され、日本城郭協会により日本100名城No.69に選定されました。日本遺産『桃太郎伝説』の生まれた「おかやま」の物語を構成する文化財でもあります。

鬼ノ城(きのじょう)の主な沿革

この城が築城されたのは、7世紀後半と推定されています。鬼ノ城は歴史書には記載されていないので、その歴史は解明されず謎のままです。

『日本書紀』に記載されている白村江の戦いと防御施設の設置記事を述べると、663年の白村江の戦いで、倭(日本)の百済復興軍は、朝鮮半島で唐と新羅連合軍に大敗しました。

664年には対馬や壱岐島、筑紫(現福岡県)などに防人(さきもり)と烽(とぶひ)を配備して筑紫に水城を築いています。

665年に長門にも城を築き、筑紫に大野城や基肄城を築かれました。鬼ノ城は、この頃に防御施設として築かれたものだと推測されます。

鬼ノ城は、地元に定着した朝鮮半島系の人達が動員され、他地域にないような古代山城を造りあげたと思われます。また、発掘された土器から667年頃の築造は、可能性として考えられます。

九州管内の城も瀬戸内海沿岸の城もその配置や構造から一体的に計画的に築かれたものだと思われ、7世紀後半の日本が取り組んでいた一大国家事業であったことがうかがわれます。

1898年(明治31年)、高良山の列石遺構が学会において紹介され、神籠石の名称が定着しました。そして、その後の発掘調査で城郭遺構とされました。

鬼ノ城の縄張

鬼ノ城は、吉備高原の南の端に位置しています。標高397mの鬼城山の山頂部に所在しており、すり鉢伏の山を7から9合目の外周を石塁・土塁による城壁が鉢巻状に2.8kmに渡って巡らされています。

城壁で囲まれた城内の面積は約30haで城壁は土塁が主体になっており、城門4か所・角楼・水門6か所などで構成されています。

城壁を保護するための敷石の発見は国内で初ということです。城内では、礎石建物跡7棟、掘立柱建物跡1棟、その他、溜井や烽火場、鍛冶遺構などが確認されています。

鬼ノ城(きのじょう)は、山城に必要な設備がほぼ備わっており、未完成の山城が多い中、このような完成された古代山城は珍しいと言われます。

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鬼ノ城の所在地

〒719-1105 岡山県総社市黒尾

鬼ノ城へのアクセスはこちら

岡山自動車道 岡山総社ICから鬼ノ城ビジターセンターまで約20分、下車西門まで徒歩約15分
※砂川公園から鬼城山ビジターセンターの駐車場までの約3km(道幅が狭いので注意)
※車幅2.1m、全長7m以内の小型バスのみ通行可能

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