あの築城の名人、藤堂高虎(とうどう たかとら)によって造られた、日本三大水城の一つ、今治城を紹介します。
今治城(いまばりじょう)は、
愛媛県今治市にある日本の城です。別名を吹揚城(吹上城)と言います。、日本100名城No.79に選ばれた城です。
今治城の沿革
1602年、藤堂高虎(とうどう たかとら)によって築城が開始され1604年に完成されました。
以前は、唐子山山頂にあった国府城でありましたが、より能率的な統治をめざして築城されたと言われています。
三重の堀に海水を引き入れた特異な構造になっており、当時は、海から堀へ直接船が入ることができるなど、海上交通の要所として今治らしい海を最大限に活用した城となっています。
「日本三大海城(今治城・高松城・中津城)」の一つに数えられています。
二之丸に藩主館、中堀以内に側近の武士の屋敷、外堀以内には侍屋敷、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所と広大な造りになっていました。
1609年、高虎が伊勢国津城に移ることになり、同時に天守は丹波の国、亀山城に移築されたと言われています。高虎自身は、移されましたが、今治領2万石は、養子の高吉が居城しました。
1635年、高吉は伊賀の国である名張に移り、代わって伊勢の国、長島城より松平(久松)定房が入城し、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となりました。
広大な城郭は、江戸期260年間は保たれましたが、明治維新以後、廃城令施行前の明治2年(1869年)に廃城なっています。
現在は、石垣と内堀がほぼ江戸時代の姿を残しています。昭和55年(1980年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられました。昭和60年(1985年)に東隅櫓が御金櫓として再建されています。
今治城の縄張
今治城の縄張は、一辺600mの正方形で、中央部に本丸、二の丸、三の丸を配し、23の櫓を有します。周囲に幅50mの内濠があり、さらに中濠と外濠を構えて海水を引き入れていました。
濠に海からの水を引き入れることによって海への出入りがスムーズにでき、海戦するのにうってつけの構造だったと考えられます。
当時は外濠の外周はかなり広かったと言われていますが、現在は、本丸と二ノ丸、内堀、そして石垣が残るのみになっています。
石垣は、野面積み(のづらづみ)で組んであり、石垣の下部の水際は、幅4mから5mの犬走りが設けられていました。
現在の模擬天守は、5層6階で昭和55年に再建されました。最上階からは、しまなみ海道の来島海峡大橋が一望でき、内部には、藩主着用の甲冑や武具や刀剣、今治城絵図、藩絵師の掛軸屏風などが展示されています。
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今治城の所在地
〒794-0036 愛媛県今治市通町3丁目1−3
今治城へのアクセス
【JR】
予讃線「今治駅」からせとうちバス「今治営業所行き」で約9分「今治城前」下車
【自動車】
瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)「今治北IC」から車で約15分
松山自動車道 → 今治小松自動車道「今治湯ノ浦IC」から20分
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