浅野氏の居城である赤穂城、『忠臣蔵』の舞台になった有名な城です。江戸時代に築かれた数少ない城の一つで、山鹿素行を招聘し甲州流軍学によって築かれた実戦的な城です。
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赤穂城(あこうじょう)は
兵庫県赤穂市にある日本の城です。城郭は国の史跡に本丸庭園と二之丸庭園は、名勝に指定されています。別名を加里屋城、大鷹城と言います。日本100名城No.58)、日本の歴史公園100選にも選定されています。
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赤穂城の主な沿革
赤穂城のもとになる城郭は、池田長政が1600年に築城したと言われています。1645年に浅野長直が赤穂藩主になると、1648年に築城願を幕府へ提出し築城に着手しました。
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これが現在の赤穂城であり、元和偃武(げんなえんぶ※)の後に築城が始まった全国的にも珍しい城郭として有名です。
※偃武(えんぶ)とは武器を伏せ納めて用いないことで、戦乱が収まり天下が泰平になることを意味します。 島原(しまばら)の乱のような幕府の存立を脅かすほどのものではなく、長く泰平の世が続いたので、ときの年号を「元和偃武」と言いました。
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現在では海岸線から離れていますが、築城当時は赤穂城のすぐ南側まで海が入り込んでいたことから、海岸平城に分類されています。
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赤穂藩に仕えていた軍学者の山鹿素行は、1653年に築城中であった赤穂城の縄張について助言した言われています。これにより二の丸門周辺を手直しされたと伝わり、発掘調査でもその痕跡の可能性がある遺構が発見されています。
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1661年に赤穂城は、着手から13年かかって完成しました。10の隅櫓(すみやぐら)、門が12あり、曲輪(くるわ)の延長は2847mに及んでいます。本丸には築城時に設置された天守台が残っていますが、江戸時代を通じて天守そのものは建築されませんでした。
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明治時代に入って、城内の建物は破却され、一部の石垣と堀のみを残し民間へ払い下げられ、土地の大部分は田畑や宅地に転用されました。
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赤穂城の縄張
築城当時は二ノ丸の南半分と、三ノ丸の西側が瀬戸内海に面していたという海城でした。この縄張(設計)は、赤穂藩の家臣で甲州軍学者でもあった近藤正純が設計し、さらに山鹿素行が手を加えて出来上がりました。
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まず、城郭は、三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海があり、清水門の南は船が出入りできる形になっています。
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本丸からは本丸を囲むように二の丸があり、同心円状に展開する「輪郭(りんかく)式」であり、三の丸は本丸の正面にだけ広がる「梯郭(ていかく)式」になっています。
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この2種を組み合わせたという、近代城郭史上では非常に珍しい変形輪郭式を取りいれているのは大変ユニークです。
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さらに櫓10箇所、門12箇所、桝形5箇所を設け、枡形虎口を用いた門、右曲りや左曲りの石垣があります。塁線には「折れ」だけでなく「歪み(ゆがみ)」を取りいれ、さらに複雑化し防備を強固にしてあり、全体的に戦を強く意識している縄張が特徴です。
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赤穂城の所在地
〒678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋1424-1
赤穂城へのアクセス
公共交通機関 JR「播州赤穂駅」より徒歩約15分
山陽自動車道「赤穂IC」より車で約10分
赤穂城周辺の地図はこちら
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