五稜郭(稜堡式の城郭)

北海道

五稜郭は、江戸末期に箱館開港を行った時に函館山の麓に置かれいた箱館奉行所の移転先として新たに築造された、星形要塞の城郭です。

日本の他の城とは、趣が違いますね。

現在、五稜郭公園として一般に開放され、函館市民の憩いの場と函館を代表する観光地となっており、函館のシンボルと言っても過言ではありません。

あの新選組副長の土方歳三が明治新政府と最後まで戦った城郭としても知られています。

国の特別史跡に指定され、五稜郭と箱館戦争の遺構として北海道遺産にも選定され、日本100名城no.2(日本城郭協会)にも選定されました。

五稜郭(ごりょうかく)は

五稜郭(ごりょうかく)は、江戸末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭です。

予算書作成の時点ては「五稜郭」の名称が用いられていましたが、築造中は、亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)とか亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)とか、呼ばれていたそうです。

この地はもともと湿地帯だったので、ネコヤナギが多く生えていた土地であるということから、柳野城(やなぎのじょう)とも呼ばれていました。

五稜郭の主な沿革

1854年3月、日米和親条約の締結により箱館の開港が決定され、そのために江戸幕府は松前藩領だった箱館周辺に再び箱館奉行所が設置されました。

と言うのも、箱館奉行所は元々江戸幕府が1802年から1807年まで設置していましたが、その後は松前藩の奉行所として機能していました。

函館開港が決定され、再度松前藩から幕府に移行して、これまでと同じように基坂(現在の元町公園)に設置されたのです。

しかし、奉行所の防御の観点から考えたとき、この場所では問題があり、箱館湾内からの艦砲射撃の射程外に位置している鍛冶村中道に「御役所四方土塁」を築いて奉行所を移転して、五稜郭を建設することになりました。

1855年7月にフランス軍艦「コンスタンティーヌ号」が箱館に入港した時、箱館奉行所で務めていた武田斐三郎がこのフランス軍艦の副艦長から指導を受けて、五稜郭等の設計を行いました。

幕府はそれに基づいて、1857年7月に五稜郭の築造を開始して1866年には全ての工事が完了させました。

江戸末期、大政奉還後、新政府により箱館府が設置されると、五稜郭は1868年4月から箱館府が引き続き政庁として使用し始めました。

同年10月には榎本武揚が率いる旧幕府軍が上陸したので、箱館府は迎撃しましたが、各地で敗北しています。

旧幕府軍は五稜郭を占領して堤を修復して、大砲を設置したり、濠外の堤や門外の胸壁を構築したりするなどの工事を行いました。

翌1869年5月の新政府軍による箱館総攻撃の際には、旧幕府軍は五稜郭に備え付けた大砲で新政府軍(七重浜および箱館港方面)に砲撃を行っています。

しかし、新政府軍に箱館市街を制圧され、箱館港内からは五稜郭に向けて艦砲射撃を行われました。

その後、新政府軍の五稜郭へ総攻撃が開始され、榎本率いる旧幕府軍は降伏しました。

結局、五稜郭では戦闘が行われることなく、新政府軍にそのまま引き渡されました。

明治以降、五稜郭は、兵部省から陸軍省の所管となりました。

奉行所庁舎および付属の建物の多くは、1871年には札幌の開拓使本庁舎建設の資材目的で解体されていますが、実際には札幌に運ばれず、札幌本道の工事等の建設資材として使用されたということです。

その後、五稜郭は特に手を加えられることなく練兵場として使用されました。

1890年から1899年まで函館要塞砲兵大隊の仮事務所が置かれています。

1914年には五稜郭公園(ごりょうかくこうえん)として一般開放され、1913年から10年かけて数千本のソメイヨシノが植樹されました。

この桜は、現在も約1,600本が残っており北海道内有数の花見の名所となっています。

五稜郭箱館奉行所庁舎等の復元については、2006年に着工して2010年に復元工事が完了して現在に至っています。

五稜郭の縄張

五稜郭は稜堡式の城郭で、水堀で囲まれた五芒星型の堡塁と1ヶ所の半月堡(馬出堡)からなり、堡塁には本塁(土塁)が築かれています。

外構は、予算の制約と開港後の外国の脅威が予想ほどではなかったので。外構工事は当初より縮小されています。

堀を掘った土で土塁を築き、本塁の高さは7.5m、幅は土台部分で30m、上部の塁道が8mあり、塁道は砲台として使用されました。

その他郭内への入口の奥に高さ5.5mの見隠塁、堀の内岸に高さ2mの低塁、郭外に高さ1m強の長斜坂が築かれました。

総堀の他、郭内への入口3ヶ所の両側に幅4mの空堀が造られ、総堀の幅は最も広い所で約30m、深さは約4~5m、外周は約1.8kmです。

大手口から入って左側の本塁の石垣があり、最上部に刎ね出し(武者返し)があり、右奥に見えるのは見隠塁です。

現在は、郭外南西の広場と半月堡を結ぶ一の橋、半月堡と堡塁を結ぶ二の橋および北側の裏門橋の3本の橋が架かっています。

奉行所は郭内中心部に建てられ、規模は東西約97m、南北約59mで一部2階建であり、西側の役所の部分(全体の3/4)と東南の奉行の役宅から構成されていました。

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五稜郭の所在地

北海道函館市五稜郭町本通1

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※電車・鉄道でお越しの方は下記を参考にして下さい。

○函館市電湯の川線「杉並町駅」から 徒歩11分

○函館市電湯の川線「五稜郭公園前駅」から 徒歩11分

○函館市電湯の川線「柏木町駅」から 徒歩15分

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