現存する多種多様な櫓と門がある、滋賀県彦根市にある国宝天守5つ(他は姫路城、松本城、松江城、犬山城)の一つです。
「安政の大獄」で有名な大老井伊直弼が藩主であった彦根城です。日本100名城No.50(日本城郭協会)に選定されています。ご当地キャラクター「ひこにゃん」でも有名ですね。
彦根城(ひこねじょう)は
江戸時代の初め、現在で言うと滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、井伊家が拠点として築かれた平山城です。彦根山(別名金亀山 こんきやま)の地形を利用した事から、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれています。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊藩主14代の居城です。
彦根城の主な沿革
徳川家康の家臣四天王の一人であった井伊直政は、1600年関ヶ原の戦いの後、その功績のため18万石を与えられました。
当初、西軍指揮官であった石田三成の居城であった佐和山城に入城しましたが、直政は、中世的な古い縄張や三成の居城であったことを嫌い別の地に築城を考えていましたが、それを果たすことができませんでした。
直政の死後に、家督を継いだ井伊直継が幼少であることもあり、直政の遺臣である家老の木俣守勝が家康と相談して1603年に琵琶湖に面した彦根山(別名、金亀山)にこの彦根城を築城しました。
以後井伊家が城主として勤め、藩政を行いました。
1854年(安政元年)に天秤櫓の大修理が行われました。その際に石垣の半分は積み直され、向かって右手が築城当初からの「牛蒡積み(ごぼうづみ)」で、左手は新たに積み直された「落し積み」の石垣です。
幕末に幕府大老を務めた井伊直弼は、35歳で藩主となるまでこの城下町で過ごしています。その時に直弼が住んだ屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」として現存しています。
明治時代初期は、廃城令による破却を免れたので、現在も天守が現存しています。天守と附櫓及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されています。
その他に安土桃山時代から江戸時代までの櫓や門等5棟が現存しており、それらも国の重要文化財に指定されています。
中でも馬屋は、重要文化財指定物件として全国的に稀少の存在です。話では、大隈重信の上奏によって1878年(明治11年)に建物が保存されたということです。
彦根城の縄張
彦根城は、南北に長い尾根を整地した連郭式(れんかくしき)の平山城です。南から述べると「鐘の丸」「太鼓丸」「本丸」そして「西の丸」が直線的に連なっています。
彦根城の正面の大手門と表門からの敵に対して両者が合流する天秤櫓(てんびんやぐら)の外側に大きな堀切が築かれています。
現在は橋がかかっていますが、この橋がなければ天秤櫓の高い石垣を登らないと本丸方面へ侵することができはません。
同じように搦め手(からめて)からの敵に対しては、西の丸の三重櫓の外側に大堀切があり侵入を妨げています。
また、彦根城には全国的にも珍しい登り石垣が5か所に築かれています。登り石垣とは、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、朝鮮各地で日本軍が築いた「倭城(わじょう)」においてよく用いられたもので、高さ1ないし2メートルの石垣が山の斜面を登るように築かれています。
斜面を移動する時の敵の動きを阻止する目的で築かれました。国内では、彦根城、洲本城(兵庫県)や松山城(愛媛県)などにしか見ることができません。彦根城では、この登り石垣の上に更に瓦塀が築かれていたということです。
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彦根城の所在地
滋賀県彦根市金亀町1-1
天守からは琵琶湖が一望でき、すばらしい光景を目にすることができます。
彦根城へのアクセス
・JR彦根駅から徒歩で約15分
・名神高速彦根ICから車で約15分
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