重要文化材「丸岡城」

平山城

1576年に築城された日本最古級の天守を持つ城と言われています。越前平定の要となった丸岡城です。穏やかな坂井市の町を見下ろす山頂に、悠然と構える丸岡城天守をご覧ください。
別名の霞ヶ城のとおり、春満開の桜の時期には幻想的でひときわ美しい姿を見せてくれます。

丸岡城(まるおかじょう)は

福井県坂井市にあった日本の城です。江戸時代には丸岡藩の藩庁であり、現在は天守のみが残っていて、天守は重要文化財に指定されています。2006年(平成18年)には、日本100名城No.36(日本城郭協会)に選定されました。

丸岡城の主な沿革

1576年(天正4年)に織田信長の家臣であった柴田勝家の甥の勝豊により築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城からこの城に移りました。

1582年(天正10年)本能寺の変で織田信長が亡くなった後は、あの有名な清洲会議によって、勝豊は近江国の長浜城に移されました。代わって城代として、柴田勝家は安井家清を配置しました。

しかし、1583年(天正11年)に柴田勝家が豊臣秀吉によって滅ぼされると、丸岡城主として丹羽長秀の命を受けた青山宗勝(修理亮)が入城しました。

1600年(慶長5年) 丹羽長秀死後、青山宗勝と忠元は関ヶ原の戦いで西軍方についたので改易され、越前の国は東軍の徳川家康の次男である結城秀康の所領となり、丸岡城主には秀康の家臣である今村盛次が入城して2万6千石を与えられました。

1612年(慶長17年)今村盛次は越前騒動で失脚し、附家老として福井藩に入った本多成重が4万3千石の新たな丸岡城主となりました。

1624年(寛永元年)には、 福井藩2代目の松平忠直が豊後配流となり、福井藩に減封処分が下され、同時に本多成重は福井藩より独立して丸岡藩を成立させました。

1695年(元禄8年)に本多家の丸岡藩でお家騒動が起こって改易処分となり、代わって有馬清純が糸魚川藩(越後国)より5万石で入城しました。以後、有馬氏が丸岡藩6代の居城となって明治維新を迎えました。

丸岡城の縄張

標高17mの小高い山頂に建っている丸岡城です。一層に大きな入母屋破風がある平山城で、石台の登り口からそのまま天守に入るというユニ-クな特徴をもっています。

北陸地方に現存している天守は丸岡城だけです。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古い外観から「最古の天守」とも言われていますが、最近の調査により学説が変わってきています。

現在見られる天守は、1948年(昭和23年)に起こった福井地震によって倒壊しましたが、1955年(昭和30年)に残った部材を70%以上を再利用して組み直して修復されました。

その際に最上階の窓の造りは、引き戸から突き上げ窓(蔀戸)に改変されています。

天守は2重3階の独立式望楼型で、1階平面を天守台に余分を持たせてあります。天守台をかぶせるような腰屋根が掛けられており、屋根瓦には笏谷石製の石瓦が寒冷地という気候事情を考慮して葺かれています。

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所在地

福井県坂井市丸岡町霞町1-59

丸岡城へのアクセス

  • バス(京福バス)をご利用の場合(所要時間約60分)
    [JR福井駅]~(バス停へ移動)→[バス乗車]→[丸岡城]
  • JR丸岡駅をご利用の場合(所要時間約60分)
    [JR福井駅]~(北陸本線に乗り換え)→[JR丸岡駅]~(駅そばのバス停)→[丸岡バスターミナル下車]→徒歩10~15分→[丸岡城]
  • JR福井駅からタクシーをご利用の場合(所要時間約30分)
    [JR福井駅]→[タクシー乗車]→[丸岡城]

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