重要文化財「丸亀城」

平山城

現存する12天守の一つであり、小ぶりであるが、天守を守るようにそびえ立つ石垣が特徴的な丸亀城です。石垣は4層あり、総高は60mを超える巨大さには驚かされます。場内の坂は、急勾配で途中に現れる扇の勾配は圧券です。

丸亀城(まるがめじょう)は

讃岐国(さぬきのくに)、現在の香川県丸亀市にある日本の城です。別名を亀山城(かめやまじょう)蓬莱城(ほうらいじょう)と言います。重要文化財であり、日本100名城78番(日本城郭協会)に選定されています。

丸亀城の主な沿革

丸亀城は、1597年(慶長2年)、生駒親正(いこまちかまさ)と一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。

当時の城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉の大坂城が手本になっています。城郭はもちろん武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲んで防御する「総構(そうがまえ)」というスタイルをとっています。

生駒氏は、1601年(慶長6年)に宇多津(現在の御供所町、北平山町、西平山町)より人々を移住させました。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣によって豊臣氏が滅ぶと徳川氏の天下となります。

徳川幕府は、武家諸法度を制定し規制を行い始めます。1615年(元和元年)の一国一城令により生駒氏は高松城を残して丸亀城を廃城しました。

1640年(寛永17年)には、生駒氏は、お家騒動のため出羽国矢島(現秋田県由利本荘市)に転封となりました。1641年(寛永18年)、山崎家治が肥後国富岡(現在の熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封して丸亀藩を立ち上げました。

1645年(天保2年)には、徳川幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築しました。その後山崎氏は3代続きましたが、改易となり、1658年(万治元年)、山崎氏に代わって播磨国龍野(現兵庫県たつの市)から京極高和が6万石で入封しました。以後明治時代まで京極氏の居城となり、現在に至っています。

丸亀城の縄張

丸亀城は、丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用しています。縄張は、ほぼ四角形で亀山の廻りを内堀で囲む、渦郭式(かかくしき)の平山城です。

石垣は野面積み算木積みの土台を組み、頂は「扇の勾配」と言われる垂直になるような独特の反りを持たせています。山麓から山頂まで4重に重ねられており、合わせると60メートルになります。三の丸石垣だけでも一番高い部分は22メートルあります。

扇の勾配と言われる独特な反り

本丸には江戸期に建てられた御三階櫓が現存しています。この建物は、唐破風や千鳥破風を施してあり漆喰が塗られ高さは15メートルありますが、現存している天守の中で最も小規模と言えます。

内堀の周囲は侍屋敷が建ち並んでおり、その周囲を外堀が方形に取り囲んでいました。天守の他には、大手一の門や大手二の門、藩主玄関先御門、番所、御籠部屋、長屋が現存しています。

そのうち天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財に指定されており、大手門と天守が両方とも現存しているのは、この丸亀城と弘前城、高知城だけです。

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丸亀城の所在地

〒763-0025 香川県丸亀市一番丁

丸亀城へのアクセス

・高松駅から丸亀城へ・・・・電車徒歩で約50分
・岡山駅から丸亀城へ・・・・電車徒歩で約80分
・善通寺駅から丸亀城へ・・・電車徒歩で約40分
・琴平駅から丸亀城へ・・・・電車徒歩で約45分
・大阪駅から丸亀城へ・・・・電車徒歩で約2時間40分
・高松空港から丸亀城へ・・・バス徒歩で約1時間30分

・倉敷駅から丸亀城へ・・・・電車徒歩で約1時間30分

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