水戸城と言えば、水戸黄門の水戸光圀や15代将軍徳川慶喜を想像される方も多いのではないでしょうか。この城は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城と言われ、空堀3本が見どころです。
高低差50mの各曲輪を区切る壮大な空堀、本丸と二の丸の間の空堀にはJR水郡線が通っており、そして二の丸と三の丸の間の空堀には道路が、三の丸の西側にも空堀が残っています。
水戸城は、大規模な土塁と共に西側の台地に五重の堀が、東の低地には三重の堀を巡らせてあり、堅固な防衛線を築かれた城でした。土塁と空堀は、県の史跡に指定され、日本100名城(14番 日本城郭協会)にも選定されています。
水戸城(みとじょう)は
常陸国茨城郡水戸(現、茨城県水戸市三の丸)にあった日本の城です。徳川御三家の一つである水戸徳川家の居城で、水戸藩の政庁が置かれ、藩校である弘道館は国の特別史跡に指定されています。
三階櫓は、外観三層の内部五階の大型の櫓で、石垣がないのでその代わりに一層目の下部を海鼠壁で覆ってあり、まるで石垣の上に建っているかのように見せかけていました。
水戸城の主な沿革
水戸城のル-ツは、古く平安時代末期まで遡ります。常陸国の馬場資幹によって築かれたと言われています。その後、馬場氏(大掾氏)(だいじょうし)の居城となり、佐竹氏が入城するまで「馬場城」とも呼ばれていました。
1416年になり室町時代に入ると、上杉禅秀の乱で当主であった大掾満幹(馬場氏)は上杉禅秀側に加わりましたが、幕府側の江戸通房に敗れました。これによって江戸氏が新城主となり、以後7代、約170年間、その居城となりました。
江戸氏はたびたび主家であった佐竹氏と対立しました。1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の際には、江戸重通は北条氏側につき、逆に佐竹義重と義宣父子は秀吉軍に加わりました。これによって佐竹氏は豊臣秀吉から常陸一国54万石を与えられました。義重、義宣父子は、江戸氏の籠城している馬場城を攻め、1594年には江戸重通を敗走させました。
佐竹義宣は、居城の太田城から、水戸城に本拠を移し、入城してすぐに城を大改修して城の名前を馬場城から水戸城に改めました。しかし、佐竹義宣が1600年の関ヶ原の戦いで、どちらにつくか曖昧な態度で終始したため、1602年には、徳川家康によって水戸から追放され、出羽国秋田に転封させられました。
その年、家康は奥州を牽制するため、五男の武田信吉を15万石で水戸に入城させましたが1603年に嗣子無く亡くなったので、十男の頼宣を20万石で入城させました。
1609年には、頼宣に駿府藩50万石を与え、末子の十一男の頼房が下妻城より25万石で入城してから廃城になるまで水戸徳川家の居城となりました。頼房が入城してから城と城下町を拡充され、二の丸に居館を構え、天守は構えず、破風などのない巨大な三階櫓を二の丸に建造しました。
また、櫓と多聞(長屋)も極端に少なくして塀を多用しました。質朴さは、水戸徳川家の家風をよく表しています。藩校の弘道館は1841年に9代藩主の斉昭によって開かれました。翌1842年には、日本三名園の一つ、偕楽園を城の西部に開いています。
幕末には、水戸藩は、改革派の天狗党と保守派の諸生党の対立が起きています。1864年、遂に天狗党が筑波山で挙兵して天狗党の乱が起こりました。
この対立は明治維新まで続き、1868年には水戸城下で戦闘が行われ、弘道館に立て籠もった諸生党を天狗党が攻撃して、その際、城内の多くの建物が焼失しています。1871年に実施された廃藩置県によって廃城となりました。
水戸城の縄張
水戸城は、水戸市の中心部にあり水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城です。北部の那珂川と南部の千波湖を天然の堀としていました。
台地東端の下の丸(東二の丸)、から西に向かって本丸、二の丸、三の丸が配置され、それぞれが空堀で仕切られていました。城郭は、主に土塁と空堀で構成され、戦国期の東国の典型的な城でした。
御三家の尾張藩の名古屋城や紀州藩の和歌山城と違い、戦国の遺風が濃い連郭式の城であったと言われます。水戸徳川家は、参勤交代がない江戸定府大名でしたので、水戸城が藩主の居城として使われることは少なく、城内の建築物は質素でした。
現在の本丸は内城、二の丸が重臣の屋敷地などがあったと言われます。1590年の小田原征伐の功により佐竹氏は、本拠を太田城から水戸城に移し、水戸城は佐竹氏の居城となりました。三の丸、二の丸、本丸、下の丸が連なるという現在の縄張りは、
佐竹氏時代にその基礎ができたと考えられています。外見は三層、中は五階建ての御三階櫓と言われる大型の櫓があり、天守閣の代用とされました。御三階櫓は明治の解体を免れましたが、太平洋戦争の水戸空襲で焼失して、以後は再建されませんでした。
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水戸城の所在地
〒310-0011 茨城県三の丸2丁目9
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〇公共交通機関・・・JR常磐線水戸駅北口から徒歩約10分
〇車・・・常磐自動車道水戸ICから約30分、
〇北関東自動車道・・・水戸南ICから約15分
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