佐賀城(鍋島氏の居城)

平城

木造の復元した建物としては、全国でも最大級の規模の本丸御殿が建てられている、佐賀城です。本丸御殿の御座間の部分は江戸時代天保期の瓦や柱がそのまま使用されており、中の歴史的展示物も大変充実しています。
かつて佐賀城内には佐賀市立赤松小学校(現在は移転)がありました。この頃の卒業生には、「がばいばあちゃん」の著者であるB&Bの島田洋七氏がいます。
日本100名城(89番)にも選定されている城です。

佐賀城(さがじょう)は

佐賀県佐賀市城内にあった日本の城です。佐賀城の前身は肥前の戦国大名龍造寺氏の居城、佐賀龍造寺城であり、鍋島氏による改修により、現在の佐賀城の姿になりました。別名を沈み城、亀甲城と言い、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城です。

佐賀城の主な沿革

佐賀龍造寺城、別名村中城は、平安時代末期に藤原季喜が龍造寺村に領主として土着しその子どもが龍造寺氏と称して、江戸時代慶長期に鍋島氏が佐賀城として改修するまで、龍造寺氏が拠点とした城でした。

1569年、大友宗麟は吉見岳城(筑後国高良山)に本陣を置いて、佐賀平野の北路より大軍を投じて進攻しました。その結果、佐賀龍造寺城の周辺はことごとく焼かれて、城は窮地に追い込まれました。

龍造寺隆信は大友氏と一度は和平しましたが、1570年、再び宗麟の大軍が佐賀に攻めてきて、龍造寺軍は籠城しました。窮地に追い込まれた龍造寺軍の鍋島信正(後の鍋島直茂)は、夜襲をかけ今山に陣をはっていた大友軍総大将の大友親貞を討ち取りました。これが世に言う今山の戦いです。その後、龍造寺隆信の子である政家、その子の高房の居城となりました。

佐賀城は、元々龍造寺氏が居城としていた村中城を、改修し拡張したものです。九州北部に勢力を持っていた龍造寺隆信は、1584年に島津と有馬の連合軍に敗れて戦死しました。これを機に実権を握ったのが龍造寺氏の家臣であった鍋島直茂です。

1585年には、直茂による村中城改修が計画されましたが、当主であった龍造寺氏の居城であることを憚って(はばかって)計画には手をつけませんでした。この計画が実現したのは、江戸時代で正当に鍋島氏が佐賀藩主として認められた後の1602年の本丸の改修を始めてからです。

直茂の計画にしたがって次の藩主、鍋島勝茂が1611年に完成させました。内堀の幅は80mにも及び、小倉城の天守の図面を参考にした高さ38mの4重内部5階建ての天守も建造されています。元和の一国一城令によって、かつての鍋島氏の居城である蓮池城は破却されました。

城は幾度も火災に見舞われ、特に1726年の大火では、天守以下本丸の大半を焼失しました。これによって御殿などが1728年に二の丸に完成して、藩の政治は、二の丸を中心に行われたということです。
1835年の火災では、二の丸を焼失して、これによって再び本丸再建が行われました。

現存する鯱の門と続櫓は、この再建時の1838年に完成しました。同時に立てられたのが本丸御殿です。明治維新以後は、裁判所や学校として利用されました。

1874年、江藤新平を中心とした、あの有名な佐賀の乱が起こって、佐賀城は、この反乱軍に一時占拠されました。この戦いで建造物の大半を失っています。鯱の門には当時の弾痕が現生々しく残っています。

鯱の門は1836年の再建時に建造された本丸の表門で、屋根にのる青銅製の鯱から名前がつけられています。

佐賀城の縄張

佐賀城は佐賀市の中心に位置しており、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城です。幅50m以上の堀は石垣ではなく、土塁で築かれています。平坦な土地ということから城内が見えなくするため、土塁にはマツやクスノキが植えられています。

城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させることにより敵の侵攻を防衛する仕組みになっていました。このことから、「沈み城」とも呼ばれてきました。

城郭と城下町の完成予想図と言われる「慶長御積絵図」を見ると、本丸石垣の構成や櫓の数など異なる部分が多く見られ、厳密には未完成の城と言われています。

2012年に実施された天守台の発掘調査及び文献調査においては、外観は4重屋根ながら内部は上から上段(5階)、下段(4階)、二段(3階)、三段(2階)、其外(1階)の5階建てとなっています。

最上層は、上下2階建てとなっているのが特徴です。一階は礎石の配置状況から後期天守閣としては珍しい書院造りで、窓は天守台の発掘によって出土した金具から突上戸と推定されています。

現代に伝わる天守閣が描かれた絵図は、1626年の寛永御城并小路町図と慶長佐嘉小城内絵図の二枚が残されています。両者にはいくつかの相違点がありますが、最上部を除いて破風などの屋根装飾が一切描かれていないのが共通点です。これらの特徴は、参考にされたと言われる小倉城天守の特徴と一致していることが分かってきました。

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佐賀城の所在地

〒840-0041 佐賀県佐賀市城内2−18−1

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徒歩JR佐賀駅の南口から県庁方面へ約2km直進します。「栄城橋」信号を右折し、しばらく直進していただくと西の御門橋の手前に佐賀城公園管理事務所があります。時間は約30分です。
バス佐賀駅バスセンターの3番のりばから【6】佐賀城跡線に乗車、約10分。サガテレビ前バス停で下車してすぐです。
タクシー佐賀駅からタクシーで約10分です。

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