新発田城(しばたじょう)

平城

城の北部を流れる加治川を外堀に利用した平城です。

日本城郭協会の日本100名城No.31に選ばれた、新潟県にある城です。

新発田城(しばたじょう)は

初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が1598年に築城し、第三代藩主宣直(のぶなお)のときに完成しました。

春の桜の季節や真冬の雪をすっぽりかぶった様子は、四季折々の風情があります。

新発田城の沿革

もともとの城は、上杉氏の家臣の新発田重家の居城としていました。

重家は、上杉謙信の後継である上杉景勝に反旗をひるがえし対立を強めます。

1587年には、上杉軍に囲まれて落城し、重家は自刃しました。

その後、この地は上杉氏の支配下に置かれ、1598年には、豊臣秀吉の命により6万石を与えられて溝口秀勝が入封しました。

秀勝は新発田重家の館跡に新発田城の築城を始めます。

入封から56年の月日を経て、1654年に3代宣直(のぶなお)の時に新発田城は完成しました。

新発田城には新発田藩の藩庁が置かれ、溝口氏が12代にわたって藩を治めました。

明治維新を迎え、廃藩置県を経て1872年には、城内の櫓や門の大半が取り壊され、堀も埋め立てられてました。

現存しているのは、表門と旧二の丸隅櫓、本丸石垣などです。

新発田城は、本丸の形が舟のように見えることから舟形城と呼ばれていました。

また、周囲の湿地に菖蒲(あやめ)が多く咲いていたことから菖蒲城とも呼ばれていました。

新発田城の縄張

本丸を中心に北の古丸と南の二の丸で囲い、その南側に三の丸を配する構造でありました。

現在は、本丸の一部を除く全域と古丸全域、二の丸の一部が陸上自衛隊の新発田駐屯地として利用されています。

本丸南側の石垣と堀、櫓門の本丸表門と二重櫓の二の丸隅櫓が現存しています。

現存建築がある城跡としては新潟県内では唯一です。

他に三階櫓や二重櫓の復元建築があります。

また、石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、白と黒が美しい海鼠(なまこ)壁で仕上げられています。

城郭跡地の大部分が陸上自衛隊の駐屯地ということもあり、三階櫓に行けないなど、観光地としての支障とはなっています。

その反面、ここを訪れる観光客の中には、城と重なる駐屯地の光景を見て、「戦国自衛隊のようである」と感想を漏らす人も多いということです。

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新発田城の所在地

〒957-0052 新潟県新発田市大手町6丁目4

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JR:羽越本線「新発田駅」から徒歩25分

バス:「新発田郵便局前」~徒歩5分または「神明前」~徒歩10分

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