島原城(「島原の乱」で有名な城)

平城

あの「島原の乱」で有名な、天守の美しい城です。
2006年、都市公園法施行50周年記念事業の一環として「日本の歴史公園100選」選定事業が実施されました。島原城跡公園は地域の活力を生み出している優れた公園として選定されており、日本100名城No.91(日本城郭協会)に選定されました。
石垣と堀は、江戸時代から残っています。堀では農家が栽培していたレンコンが根付いており、秋にはレンコン掘り大会が開かれます。

島原城(しまばらじょう)は

1616年、大和(奈良県)五条より島原に移封した松倉重政は、1618年から7年あまりの年月をかけて島原城を築きました。昔は「四壁山」「森岳」などと呼ばれた小高い丘を利用して築かれましたので、別名を森岳城とも言います。

島原城の主な沿革

1616年、有馬直純が日向国(宮崎県)延岡藩に転封になり、代わって松倉重政が日野江城(有馬氏の居城)に入城しますが、城が手狭であったため、1618年に島原城の築城を開始し1624年島原城が完成しました。

1637年から1638年まで、初代の重政と2代勝家の圧政が原因で島原の乱が起こりました。勝家は、騒乱の責任により斬首され、松倉氏は改易となっています。1638年には、高力忠房が4万石で入封しましたが、以後、譜代大名が4家入れ替わっています。

1871年、廃藩置県により島原県となり、1874年の廃城令により、土地建物などは民間に払い下げられました。

1876年には、天守以下建造物が破却され、本丸は畑地となり、三の丸には島原中学校(現在の島原高校)など学校が造られました。

1960年に西櫓か復元され、1964年に天守を復元して、中にキリシタン資料及び藩政時代の資料を展示する歴史資料館にしています。

1972年に巽櫓を復元して、地元出身の彫刻家である北村西望の作品を展示する西望記念館としています。1980年に丑寅櫓と長塀を復元しました。

島原城の縄張

有明海に臨み雲仙岳の麓に位置し、城郭の形式はほぼ長方形で、南北に連なる並郭式(へいかくしき※連郭式と見られることもある)の平城です。

外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門は7か所、平櫓は33か所ありました。内郭には、堀にかこまれた本丸ーと二の丸を設けてあり、その北に藩主の館(やかた)のある三の丸が続いています。

本丸には五層の天守閣をはじめ、3か所に三重櫓がそびえ立っており豪壮で堅固な城構えでありました。高く頑丈な石垣が特徴で、本丸は周りを水堀で囲まれ、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれています。

橋を壊せば本丸を独立させることが出来きますが、逆に袋のねずみ状態となります。しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなっているので、縄張の欠陥とも言われます。

天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていました。

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島原城の所在地

長崎県島原市城内一丁目1183-1

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島原鉄道島原駅より徒歩10分

長崎道諫早ICより1時間

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