白河小峰城(東北三名城の一つ)

平山城

東北三名城の一つ白河小峰城です。焼失したり、地震(東日本大震災)と様々な歴史のあるお城ですが、美しい石垣や三重櫓など見どころ満載のお城です。木村拓哉の 映画「武士の一分」の撮影に使用された城でも有名です。2006年に日本100名城13番(日本城郭協会)に選定されています。

白河小峰城(しらかわこみねじょう)は

阿武隈川と谷津田川の間に位置しており、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城です。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城と会津若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられています。現在は本丸と二の丸の一部が残されており、周辺は城山公園として整備されています。

白河小峰城の主な沿革

白河小峰城は、南北朝時代の1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされています。

1590年に城主であった白河結城氏が豊臣秀吉によって改易されると、この地は会津領となり、蒲生氏と上杉氏が支配していましたが、1627年に丹羽長重が10万石で城主として入ると、徳川幕府の命令により1629年より城郭の大改築に着手して、3年の歳月をかけて1632年に完成しました。

その後、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主が交代しましたが、1867年に白河藩が幕府領となり、城郭は二本松藩の丹羽氏が管理しました。

1868年には、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防戦が行われ、大半が焼失し落城しました。1873年の廃城令では存城処分となり、城跡は曲輪と土塁、石垣、水堀を残すのみとなりました。

1991年には、本丸跡に三重櫓が、そして1994年には前御門が復元されました。2011年3月11日に発生した東日本大震災によって三重櫓の崩壊はありませんでしたが、数カ所の石垣と曲輪が崩壊しました。特に三重櫓下段の曲輪の崩壊被害は大きく、小峰城入口からも確認できるほどでした。

2011年の秋から修復工事が行われ、形状を崩落前の石垣写真と比較して図面をおこし元のどおりに積み直すという作業が緻密に続けられ、作業の結果、落とし積みと呼ばれる、同心半円形状の石積みも修復されました。白河小峰城の石垣修復のやり方は、熊本地震で被害を受けた熊本城の石垣修復にも活かされています。

白河小峰城の縄張

白河小峰城は梯郭式の平山城で、阿武隈川を背にした北端に本丸が位置しています。本丸の南には二の丸、三の丸と広がっており、本丸は周囲を帯廓(竹の丸)で囲まれていました。

二の丸までは、総石垣で固められており、三の丸からは一部が土塁となっています。二之丸には、大庭蔵や武器蔵、用米蔵が置かれ、これを東南に取り囲む出丸には用屋敷などが配置されていました。

さらには、この東、南、西を三之丸が取り囲んでおり、東南には侍屋敷、西側には郡方役所が置かれていました。本丸御殿の平面図を見ると、書院や広間などの間取りに畳数が記載されています。

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白河小峰城の所在地

〒961-0074 福島県白河市郭内

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車:東北自動車道白河ICから約20分

電車:JR東北本線白河駅から徒歩5分

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