吉野ヶ里(弥生時代の大規模な遺跡)

平城

佐賀県の吉野ヶ里町にある大規模な遺跡です。これまでの調査によって弥生時代の前期初頭に小規模な環壕集落が丘陵南端に形成されたと推定されています。
望楼と言われる物見櫓を備えた環壕によって囲まれた、北内郭や南内郭の存在が確認され、
北内郭の内部には、中期の墳丘祭殿と推定される大型建物を含む掘立柱建物跡が存在しています。南内郭は、高階層の人々の居住区と考えられ、南内郭西方に存在する大規模な高床倉庫など多数の掘立柱建物跡が発見されています。
2006年には、日本100名城(88番 日本城郭協会)に選定されました。

吉野ヶ里(よしのがり)は

この遺跡は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある、弥生時代の大規模な遺跡です。国の特別史跡に指定されている、大変見応えのある、歴史的な遺産です。
約117haにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落跡で知られています。発掘調査によって発見され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園となっています。

吉野ヶ里の主な沿革

縄文時代の後期には、吉野ヶ里丘陵の周辺部に人が生活していたと推定されています。この地に人々が生活し始めた理由としては、ここが海と近かったことと考えられます。最終の氷期が終了し温暖となった縄文時代の前期には、縄文海進と呼ばれる海面上昇がありました。有明海は吉野ヶ里丘陵の南端付近まで広がり、遺跡から2ないし3kmほどの距離にあったと推定されています。

有明海は、干満の差が大きくまた遠浅の干潟を持っており、この干満の差や筑後川などの河川を利用しての水運に優れていました。また、貝やカニなどの食料が豊富に得られることもできました。このように、この地域に人々の安住する好条件がそろっていました。

弥生時代には、吉野ヶ里丘陵の中に集落が形成され始め、これが大規模な集落へと発展していきます。
前期には、吉野ヶ里丘陵のところどころに分散して「ムラ」ができ始め、南方に環濠集落が出現します。

中期には、吉野ヶ里の丘陵地帯を一周するような環濠が出現し、集落が発展していくとともに、防御が厳重になっていきます。

また、墳丘墓や甕棺が多く見られるようになり、大きな墳丘墓になると南北約46m、東西約27mの長方形に近い墳丘で、高さは4.5m以上あったと推定されています。頂上から墓壙を掘って14基以上の甕棺を埋葬しているものがあり、他の地域でも見当たりません。

後期には、環壕が更に拡大しており、二重になると共に建物が巨大化してきました。
3世紀頃には集落が最盛期を迎え、北内郭と南内郭の2つの内郭ができ、文化の発展が見られました。甕棺の数等から推測しておよそ1,200人、吉野ヶ里を中心にクニ全体で5,400人くらいの人々が住んでいたと推測されます。

古墳時代には吉野ヶ里遺跡の住居は激減し、丘陵の上は墓地として前方後円墳や周溝墓などが築かれました。人々は、低い湿地を水田として開拓できるようになり、生活の基盤を平野に置くようになりました。

吉野ヶ里の遺構(縄張)

佐賀県東部は標高1,000m前後の脊振山地を北端にして、脊振山地南麓の丘陵地帯、佐賀平野、そして有明海へと移るにつれて標高が低く、南にむけて開けた地形となっています。

吉野ヶ里遺跡の最大特徴が集落の防御に関連した遺構になっていることです。弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠ができていました。

V字型に掘られた総延長約2.5kmの外壕が囲む範囲は約40haになり、壕の内外には木柵や土塁、逆茂木といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていました。

また、見張りや威嚇のための物見櫓が環濠内に複数置かれていました。大きな外壕の中に内壕が2つあり、その中に建物がまとまって立っていました。北の集落を北内郭、南の集落を南内郭と命名されています。

内郭の内外に建物の遺構が発見され、竪穴住居と高床住居は祭祀に携わる人物やその側近が暮らしたと考えられいます。祭祀が行われる主祭殿や東祭殿、斎堂と共に内郭の中で見つかっています。また、食料を保管する高床式倉庫や貯蔵穴、土坑、青銅器製造の跡なども発掘されました。

多く遺体がまとまって埋葬された甕棺や石棺、土坑墓は、住民や兵士などの一般の人の共同墓地だと考えられます。一方、遺跡の南部と北部にあわせて2つの墳丘墓(「北墳丘墓」と「南墳丘墓」)があり、こちらは集落の首長などの墓であったと考えられます。

甕棺の中の発掘された人骨には、怪我をしたり矢じりが刺さったりしたもの、首から上が無いものなどがあり、倭国内で大きな戦いがありその凄まじさが見てとれます。また、ガラス製の管玉等の埋葬品も多く見つかっています。

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吉野ヶ里の所在地

佐賀県神埼郡 吉野ヶ里町
吉野ヶ里歴史公園 〒842-0035 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843

吉野ヶ里へのアクセスはこちら

佐賀空港:県道30号を北→国道34号を東(約40分)

福岡空港:福岡都市高速道路→九州自動車道→長崎自動車道東脊振IC→県道385号を南(約65分)

JR佐賀駅:駅北口大通りを北→国道34号を東(約25分)

JR博多駅:福岡都市高速道路→九州自動車道→長崎自動車道東脊振IC→県道385号を南(約60分)

JR鳥栖駅:駅西側県道220号を西→国道34号を南西(約30分)

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